ソフトウェアエンジニアと人工知能は親和性が高い
――本書『おうちで学べる人工知能のきほん』では言語処理や対話についての章が登場しますが、東中さんが対話研究に関心を持ったきっかけは何だったんでしょうか。
東中:実は最初から対話の研究をしようと考えていたわけではなかったんです。もともと言語が好きで、学生の頃は英語、フランス語、中国語などを文化も含めていろいろ勉強しました。大学では最初ニューラルネットワークの研究室にいたんですが、あんまりピンとこず、言語処理の研究室に移りました。そこで初めてコンピューターで言葉を分析する研究について知ったんです。
そのあとNTTの研究所に入りました。外国語が好きだったので機械翻訳の基礎研究をやりたかったんですが、すでに商用ベースになっていて、基礎研究は行われていませんでした。そこで対話システムの研究をやることになったんですよ。基礎研究を10年ほど続けて、いまは応用研究をしています。
――一般に、どういう人が人工知能の研究者だと言えるんでしょうか。
東中:コンピューターサイエンスの研究者はみんなそうですね。情報処理と人工知能はほとんど変わらないんですが、中の仕組みがはっきりしていたら情報処理、賢さを説明しづらいときは人工知能と呼ばれている気がします。理工学系の研究者だったら、一部を除いてほとんど人工知能の研究者と言っていいと思います。
――いまモバイルアプリを作っているような人でも研究者になれますか?
東中:もちろん、本書を読んでいただければ(笑)。人工知能と言ってもやっていることはソフトウェア開発が中心です。人工知能はいろんなゲームやサービスにも使われていますし、ソフトウェアエンジニアと人工知能は親和性が高いと思います。
アクションにつなげてもらいたい
――本書は「知能とは何か」というまさに本質的なところから始まります。この意図はどこにあるんでしょうか。
東中:本書の狙いは、そもそもの部分から理解してもらうことです。なので、「知能とは何か」からしっかり解説することにしました。
人工知能自体は様々な要素技術の組み合わせなので、作ろうと思えば誰でも作れるかもしれません。ですが、その技術や下地を理解していないとブラックボックスの部品を組み合わせるだけになってしまうので、それはよくないと思います。
――本書はどういう本なのでしょうか。
東中:手がけているサービスに人工知能を使おうという立場の方が多いと思いますが、本格的な工学書を読むのが辛い人にお勧めの本です。概論だけの人工知能本だと自分が抱えている問題を解決できるのかわからないことも多いので、本書ではできるだけ丁寧に人工知能の全体像やその仕組みを解説しました。
入門書なので、人工知能を身近に感じてもらうためにちょうどいい感じの本だと思います。どういうデータがあればどんなことができるのか、そういったことをイメージできるようになれば、強いエンジニアになれるでしょう。仕事に直接的につながらなくても、間接的につながればと思います。
――どんな読者をイメージされていますか?
東中:やはり大学生、社会人1年目の人たちですね。人工知能に関することを始めたとしても、人工知能の分野は広すぎてなかなか全体像が把握できません。全体像を知らないままだと、他のもっと効率的な方法があることに気づけませんよね。
私自身がまさにそうだったんです。あまり何も知らないでNTTの研究所に入ってしまった。しかも、対話の研究は人工知能のさまざまな分野の知識が必要でした。私は独学で勉強をしましたが、大変効率が悪かったと思います。だから、人工知能の全体像やその仕組みを理解するための教科書が必要だとずっと思っていて、それを本書で実現しました。
いきなり難しい工学書を読んで理解していくのは大変ですし、先輩に訊こうにもずっと付き合ってくれるわけでもありません。社会人の場合、入社して何年かすれば人に質問もしづらくなります。そういうときに本書を読んでみるといいと思います。
一般の人もエンジニアも、これからは人工知能なしで生きていくことができなくなるでしょうから、基礎として知っておいてほしい情報を詰め込んであります。文系の方にもお勧めです。
――本書を読んだあと、もう少し深く知りたいと思ったらどうしたらいいですか?
東中:工学書を読むのがいいと思います。初学者でも比較的わかりやすい本もありますから。ただ、それ以上先に行こうと思ったら、大学院に入るなり講座を受けるなりしたほうがいいですね。独学だけでやっていくのは難しいでしょう。
東京都内なら言語処理や機械学習の論文を読む勉強会も頻繁に開催されています。人工知能学会の全国大会や研究会に出てみるのも面白いかもしれません。人工知能学会はばりばりの理工系だけでなく、経済や生活など社会との接点に関する話題もあります。自社でビジネス向けのAIを開発したい方なら、共同研究の相手を探す場としても活用できると思います。
読み終わって、アクションにつなげてもらうのが一番嬉しいです。世の中には様々なデータが眠っているので、それらを利用して自分の業務に活かす。あるいは発表して誰でも使える知見にする。身の回りから始めてみてほしいです。
――もし本書の続編を書くとしたら、どんな内容にしますか?
東中:もう少しエンジニア寄りの、チャットボットなどを気軽に作れるようになる本がいいですね。そうした本はすでにいくつかありますが、実際の研究者が書いたものは少なく、シンプルな方法で実装している本が多いので。
せっかく最新の面白い技術がいろいろとあるので、それを使って賢いチャットボットを誰でも作れるようになれば、対話システムの裾野がもっと広がると思っています。
人工知能と雑談して関係性を築く生活へ
――本書で言語処理や対話をきちんと説明されているのは、東中さんが研究されている領域だからでしょうか。
東中:やはり人工知能の大目標が言語処理や対話ですから、どれくらいまで進展したのかを本書で知ってほしいという気持ちがあります。
反対に、前半部分についてはかなり調査を行いました。「知能とは何か」なんて考えながら研究している人は多くないですし、私自身もそこが専門ではないので。でも、一度考えてみると奥が深くて、非常に面白かったですね。
特に、IQの歴史は知ることができてよかったです。今のAI研究者はあまり知らないのではないでしょうか。たとえば、世界で最初の知能測定は握力を測定したり、音への反応時間を計測したりしていたんです。知能は肉体的な能力だと考えられていたんですね。
その後の19世紀のビネーによる知能測定はよく考えられているものなので、もっと多くの研究者が知っておいてもいいと思います。あんまり聞かない話ですしね。
――人間の言語処理はコンピューターで実現できるんでしょうか。
東中:人間の言語処理の機構がまだまだ解明されていないので、実現できるかはわかりません。でも、近似としてアルゴリズムを作っているんです。人間とまったく同じように実現する必要はありません。
飛行機は空を飛びますが、鳥とは飛び方が違いますよね。それは飛行機の目的が移動にあるので、あの形で十分ということです。なので、役に立つ言語処理のアルゴリズムであれば、人間と同じでなくても用をなすわけですね。もちろん人間と同じ言語処理を実現できれば面白いと思いますが、今のやり方でも役に立つものはできると思います。
――東中さんは特に雑談の研究をされているとのことですが、どういった理由で注目されているんですか?
東中:人間にとって雑談が大事だからです。会話の6割くらいは雑談なんですが、そこまで費やすなら無駄に雑談しているわけではないと予想されます。たとえば、相手に気に入られたい、相手を知りたい、自分を認めてほしい、そういった意味があるんですよ。ですが、それを計算可能にするのが難しく、今はまだコンピューターはうまく雑談ができません。
しかし、コンピューターが家庭に入ってきても雑談ができないとなると、家庭内の会話の6割に参加できないことになります。何十年も一緒に生活するであろうコンピューターが毎回コマンドを受け取って対応するだけ、というのはどうかと思うんです。
やっぱりコンピューターと仲良くなって関係性を築き、将来的に頼れる存在になってもらうには雑談が欠かせません。コンピューターに雑談を教えることは人間の仲間になるために必要なことです。雑談できるようになれば、今までにないような「人工知能との生活」を実現できるかもしれません。
雑談の研究は、私が取り組む前はキワモノ扱いされていました。人工無能と言われることが多かったんですが、最近は市民権を得てきましたね。かなり有用性が認知されてきて、研究する人も増えてきたのはすばらしいことです。
――雑談もそうですが、東中さんは人工知能との生活を意識されているんですか?
東中:はい、意識しています。弊社は基礎研究が義務になっていて、武蔵野研究開発センタには「知の泉を汲んで研究し実用化により、世に恵を具体的に提供しよう」と刻まれた記念碑があります。研究を普段の生活に還元することが大事なんですね。
すでに今も、いろんな電子機器と一緒に生活をしています。もはや電子機器がないと生きていけません。Web検索や機械翻訳がないと生きていけない人もいるでしょう。我々はそうした技術を取り込んで自分を拡張し、日常生活を快適にしようとしています。
人工知能もその一つで、人間の外部化された知能だと言えます。最近はあんまり物事を覚えなくなっているかもしれませんが、検索すれば出てくることを覚える必要もありませんよね。それがいいか悪いかという議論はありつつ、できることは確実に広がっています。
少しでも人工知能に関心があれば、ぜひ本書を読んで、人工知能に関わる様々な話題やアルゴリズム、そして対話の研究についても現状を知ってもらえればと思います。何ができて何ができないのか、それがわかることが大切です。