1杯目のビールは、なぜおいしいのか? 限界効用
1杯目のビールのおいしさに比べると、2杯目、3杯目の満足度はどうしても下がってしまいます。限界効用を学ぶと、商品やサービスのリピーターになってもらうことの難しさが理解でき、そのための戦略を練るのに役立つでしょう。
2杯目、3杯目のビールの満足度はどんどん減っていく
暑い外で1日中働いた後に飲む1杯目のビールの満足度は非常に高いものですが、2杯目、3杯目、と追加するうちに、だんだんとその満足度は減っていきます。
ミクロ経済学では、1単位追加したとき(この場合、1杯目、2杯目と飲むとき)、どのくらい満足度が上がるか(追加分のビールから得られるメリット)の変化の様子を示したものを限界効用(Marginal Utility)といいます。Marginalは限界的という意味で、限界とは「追加的な」というニュアンスで捉えるといいでしょう。
おかわりを重ねるうちに、追加して得られるビールの満足度は減っていきます。一般的に、消費量が増えるにつれて、追加して消費した分から得られる満足度(効用)は次第に小さくなるものです。これを限界効用逓減の法則といい、図2-6のようにグラフで表現できます。最初の1単位(ビール1杯)の満足度は大きく、追加するごとに満足度が減っていくことがわかります。
ただ、例えば金の延べ棒の場合、2本目、3本目で満足度が下がる人は珍しいはずです。このように、どれだけもっていても限界効用は高いままのモノも存在します。一般的には、手に入りやすいモノの限界効用は低く、希少性の高いモノの限界効用は高いといわれています。
あなたの選択は見られている!? ゲーム理論
他者の出方を見ながら意思決定をするゲーム理論の考え方は、企業のマーケティング戦略だけでなく、人間観察にも役立ちます。あなたの周囲に、出すぎた行動をしないように同調圧力をかけてくる人はいませんか? ゲーム理論を応用すると、その人は出し抜かれたくないから、周りをけん制するとも考えられるでしょう。
協力しなかったことでお互いが不利益を被ることもある
ここまで、経済学の考え方として「自分の利益を最大化する」という前提で話を進めてきました。でも実際には、ライバル社の戦略を考慮しながら自社の計画を進めるように、企業でも人でも、自分の意思決定はほかの参加者の出方を見ながら行い、ほかの参加者の意思決定は自らにも影響します。既存の経済学にこうした要素を加えた考え方を、ゲーム理論といいます。
ゲーム理論には、協力し合ったことでお互い利益が得られる協力ゲームと、お互いに非協力であったことで、結果として双方とも損失を被ってしまう非協力ゲームがあります。
例えば、ある街にスーパーマーケットA店とB店があるとします。話を簡単にするために、住民は必ずどちらかの店で買い物しなければならない、としましょう。この状況で、A店とB店が「お互い値下げはしないでおこう」と取り決めて、値段を高いままにしておくのが協力ゲームの状態です。
しかし突然A店が安売りを始めたら、顧客を奪われたくないB店も安売りを始め、値下げの消耗戦になってしまうかもしれません。これが非協力ゲームの状態です。実際の社会でも思い当たることはあるのではないでしょうか。どちらにせよ、このように相手も自分も戦略を変えてもこれ以上得せずに均衡している状況を「ナッシュ均衡」といいます。
オシャレしない約束を全員守れる?
ゲーム理論の非協力ゲームには、有名な「囚人のジレンマ」というものがあります。これは人を出し抜こうとしたことで、全員が不利益を被ってしまう結果になる現象です。名前の由来は、犯罪の容疑者2人が別々の部屋で取り調べを受けているとき、「黙秘か自白のどちらかを選ぶ」状況からきています。
ここで、もし、2人がお互いを信じて黙秘を貫けば、最もよい結果が待っています。しかし悩ましいのは、一方の容疑者が自白すれば、黙秘した方の容疑者は重い刑罰を受けることになる点です。最初は相手を信じて黙秘をしていても、もしかしたら自分は裏切られて、もう1人の容疑者に出し抜かれるかもしれないのが悔しくて、結局双方とも自白してしまうジレンマを示しています。この例のように、自分に不利であっても、その選択しかできない状況なら、お互いにとって最適な選択になるため、ナッシュ均衡は成立していることになります。
囚人の話は少し遠いので、身近な例で考えてみましょう。時間があるときにするオシャレは楽しいものですが、忙しいウィークデーにオシャレをしないで出勤できたら、どんなに時間の短縮になるでしょう。お金の節約にもなります。
例えば、あなたが職場の同僚たちと「出社前の服装選びに時間がかかる」という話で盛り上がり「全員、明日から私服はやめてスーツで出勤しよう」と決めたとします。あなたは本当に私服での出勤をやめられるでしょうか?
もし1人だけオシャレな服装で出勤すれば、同僚たちの怒りは買いますが、職場で注目されるだろうという誘惑もあります。しかし、もし全員が同じことを考えたら翌朝は全員が、逆にワイシャツやネクタイの色を考えたり、服装以外にアクセサリーやメイクでオシャレに見せようとしたりと、身支度の時間はいつもよりかかってしまうことも考えられます。
これは少し極端な例ですが、「若見え」やSNSでのコミュニケーションが重視される現代社会では、私たちは他人の目を気にして、囚人のジレンマに陥っているといえるかもしれません。
繰り返すと協力ゲームに変わる
全員が不利になってしまう非協力ゲームも、何度も繰り返すことで、協調が生まれて利益になる場合があります。これを繰り返しゲームといいます。出勤時の服装選びの例なら、最初は競ってオシャレしていても、だんだん気心が知れて、オシャレして出勤することに意味がないことが共通認識になれば、本当にシンプルな服装で出勤することが全員に定着するかもしれません。
保護貿易主義VS自由貿易主義 比較優位
保護貿易主義と自由貿易主義について学ぶと、自由貿易の理想である比較優位は、なかなか実現しないことがわかります。しかし比較優位の考え方は、仕事でのチームビルディングなどで役立つはずです。たとえ不得意なことがあっても、それぞれが一番得意なことに特化し、能力を伸ばせばいいでしょう。
保護貿易と自由貿易
2017年にアメリカでトランプ政権が誕生してから、保護貿易という言葉をよく聞くようになりました。これは、輸入品が国内製造を圧迫することで雇用が悪化し、また国内企業が海外に移転して産業が真空化してしまうなどの理由で、国内産業の保護のために外国との貿易に関税などを設ける考え方です。アメリカを中心に貿易戦争と呼ばれる現象まで起きています。これに対する自由貿易の中で、理想のかたちは「比較優位」といわれています。比較優位とはどんな状態のことなのでしょうか?
相手と比べて「比較的得意なこと」を担当する
会社のある部署に、営業成績ナンバーワンのAさんと、分析にかけては右に出るものがいないBさんがいるとします。Aさんは机に座って資料をつくるのが苦手、Bさんは人とコミュニケーションをとるのが苦手であれば、お互いが得意な分野を担当して、相手の不得意なところを補って協力すれば、仕事の生産性が上がることがわかります。
これほど突出した能力でなくても、得意なことに特化した方が効率的な結果が得られる、というのが比較優位の考え方です。例えば、職場の(絶対的な)営業成績は中位でも、自分の中で営業が一番得意なら、その人の中で最も効率的に稼げる営業に特化するのがよい、ということになります。
これを貿易の話に戻せば、それぞれの国が得意な産業に特化して輸出し、不得意な分野のものを輸入するのが、お互いにとって最も経済的合理性が高くなるというのが比較優位の考え方です。例えば、途上国のある国では織物をつくるのが得意ですが、先進国に比べると生産性がかなり低いとします。そんなふうに他国に比べて劣っていても、自国の中で一番の産業に特化して、苦手なものは輸入すればよいというのが比較優位の最大のポイントです。ただこれが成り立つのは、自由貿易が成り立っているときだけです。
自由貿易とは、関税など国家による介入がなく、海外と自由に貿易が行える状態です。大航海時代のヨーロッパでは、絶対君主制をとる国家が貴金属や貨幣を貿易によって蓄積して国富を増やそうとする「重商主義」という自国中心主義な保護貿易に近い体制です。
それに対してイギリスの経済学者アダム・スミスやデービッド・リカードが自由貿易を支持しました。自由貿易によって海外から安価な商品が輸入でき、輸出で利益が得られるだけでなく、新しい技術やスキルが得られる、国内産業が輸出機会を得る、海外企業との競争が起きることで、国内で特定の企業が市場を独占してしまうことを防げるといったメリットも指摘されています。
理想の貿易のかたちとは?
しかし残念ながら、現実の国際貿易では比較優位はなかなか実現しません。日本の場合もそうであるように、国内の弱い産業を保護するために関税を設ける、助成金を出すなど、多かれ少なかれ、保護が必要とされるのが現状です。海外からの輸入に依存しすぎることをリスクと捉える考え方もあります。比較優位のように合理的には割り切れず、現実の貿易では保護と自由のバランスをどのようにとるかが常に課題となっています。