ボタンを押すと何かが起きる、それだけで面白い
――今回『The Maker's Manual』を監修されましたが、坪井さんご自身はフィジカルコンピューティングや電子工作のどういったところに面白さを感じていますか?
坪井:1970年代、つまりApple Iの頃は、コンピュータといえば誰もがキットで自作する時代でした。もちろんはんだ付けも含めてです。僕はそのあとの世代ですが、まだそうした文化が残っていて、ラジオ工作もしました。それが楽しかったというのが元々です。
今の若い人は最初からコンピュータがあって、JavaかPythonかそれとも……というようにどの言語で何を開発するかから入ります。たとえば、CPUの中にレジスタがあることを意識しません。
Raspberry Pi開発者のエベン・アプトンは学生にコンピューターサイエンスを教えていましたが、最近の学生は昔の学生が持っていたようなスキルを持たずに入学してくることに気づいたそうです。
たしかに、若い人は我々のような世代よりもはるかにコンピュータを使い慣れていても、その中身についてはほとんど知りません。コンピュータはブラックボックスになると同時に、我々に身近なものになりましたが、一方で、コンピュータの中身は我々にとって身近なものでなくなってしまいました。
僕としては、ブラックボックス化されておらず、中身に触れられることがフィジカルコンピューティングの面白さだと思います。
もう一つは、画面の中だけの現象だったソフトウェアが、フィジカルコンピューティングによって外に出てくるようになったことです。最近僕が作ったのは、ボタンを押すと特定のツイートをする装置です。ボタンを押すと何かが起きるという、それだけで面白いんですよね。
僕はソフトウェア屋やネットワーク屋をやってきたこともあり、インターネットに繋がっているデバイスが画面やメモリの中だけで何かするのでなく、現実の世界と直接的に繋がることは楽しいと感じています。
アメリカ人はマンホールの蓋でコイントスをする
――『The Maker's Manual』の背景にはメイカームーブメントがありますが、日本ではどうなのでしょうか。
坪井:中心地はDIYが盛んなアメリカですが、日本でも盛り上がっているのは間違いないと思います。ただ、ムーブメントの中心であるオライリー主催のMaker Faireはアメリカと日本で違いがあります。
アメリカだとサイズの大きいものや金属加工をしたものが多いんですが、日本ではエレクトロニクスにかなり寄っています。それは両者の住環境の差で、たとえば日本のマンションやアパートに住んでいる場合、そこで金属加工をするのは難しいでしょう。アメリカのMaker Faireにはマンホールの蓋でコイントスをする機械を作っている方がいますからね。
あと、気質の違いもあります。アメリカ人だとそういったわけのわからないものを勢いで作ってしまうんですが、日本人は失敗に寛容ではない気質があり、作るからにはクオリティにこだわります。そのため、メイカームーブメントだからとむやみやたらに盛り上がっているわけではなく、完成度とクリエイティビティの高い作品を作る傾向にあります。
日本のメイカームーブメントはアメリカのような巨大な潮流という感じではありません。ただ、Maker Faire Tokyo自体は出展者・参加者が多く大規模で、中国のMaker Faire Shenzhenが台頭するまではアジアで最大規模でした。
また、もう一つ違いを挙げると、アメリカのMaker Faireは家族連れが多いですね。日本でも子供向けの企画が増えていますが、比率としてはまだ低いです。
――日本だとどういう方が多いのですか?
坪井:出展者・来場者はまさにCodeZineの読者層と重なると思います。Raspberry Piで遊んでいるようなソフトウェアエンジニアですね。なぜそういう方が多いのかというと、今まで画面の外に出てこなかったものが物理的な存在になるのがとても面白いからでしょう。
とりわけIT業界で働いている20代から30代が多く、意外と40代以上が少ない気がしますね。もちろん、出展や参加はしていないけれど作っているという方は40代以上でも多いと思います。
出展作品の傾向としては、やはり金属加工などエレクトロニクスの要素があまりない作品は少ない状況ですが、木で作ったレールの上をボールが走り回るマーブルマシンやピタゴラスイッチのような作品を作っている方もいらっしゃいます。やはり好きなものを作ることが根本にあります。
クリス・アンダーソンは「メイカーの教祖」ではない
――日本とアメリカでムーブメントの中身に違いがあるとのことですが、本書は翻訳書です。日本の文脈には合っているのでしょうか。
坪井:原書はMaker Mediaから出版されていますが、同社の雑誌『Make』はエレクトロニクスを多く扱っています。ですから、本書も金属加工よりも3Dプリンタや電子工作などエレクトロニクス寄りの内容になっています。
最初に本書を読んだときは、純粋なプログラミングの書籍ではないので、翔泳社さんのいつものイメージとは違うなという印象を持ちました。ですが、そのためかえって間口が広い書籍になっていると思います。
――原書はイタリアで刊行され、その後にアメリカ、そして日本での刊行ですので、イタリアのムーブメントが日本とよく似ているのかなと感じました。電子工作に使われるArduinoもイタリア発です。
坪井:そうなのかもしれません。実は、日本とアメリカのメイカームーブメントで異なる点は、先ほどお話ししたこと以外にもあります。それは本書の内容にも通じるところです。
アメリカではメイカームーブメントとハードウェアスタートアップが強く繋がっています。クリス・アンダーソンの『MAKERS』で「誰でもモノ作りをできるようになったから起業しよう」という主張が強く表れているのが象徴的ですね。そのため日本でも、メイカーの全員が起業したいと思っていると捉えている方もいるようです。
実際には、メイカームーブメントとハードウェアスタートアップは別のものですし、アンダーソンは一般に思われているような「メイカーの教祖」ではありません。僕の印象ですが、彼はモノ作りが大好きで気づいたらメイカームーブメントの中にいたという人物ではなく、編集者的・傍観者的な立場でアーリーアダプターたちが取り組んでいるモノ作りを見て『MAKERS』を書いたのだと思います。彼が観測していたアーリーアダプターたちの多くが起業家だったためか、同書の副題に「新たな産業革命」とあるとおり、かなり起業家に寄った記述が見受けられます。
日本のメイカームーブメントはモノ作りでビジネスをしようと考えている方ではなく、作るのが楽しいという方が中心です。オライリーの『MAKE』が掲げる「DIYを楽しむ」精神に則っているわけです。本書にもプロジェクト管理や資金調達の章がありますが、全体としては『MAKE』の精神に近いと感じています。
何か作りたい、でも手段がわからない方へ
――では、本書はどういった方に向けられているのでしょうか。
坪井:何か作りたい、でも手段がわからないという方です。作るための手段を得るのはたいへんハードルが高いことです。たとえば、Maker Faireに行って自分でも作ってみたいと思っても、どうすればそれを実現できるのかはなかなかわかりません。そこで導入となるのが本書で、モノ作りのために多様な手段があることを知っていただけます。
ただ、本書は基本となるプログラミングについては詳しく説明していないので、ある程度は理解できている方が対象です。まったくゼロからプログラミングを学んでモノ作りをする、という本ではない点は注意していただきたいですね。
とはいえ、何か作りたいという方がどんな手段があるのか、どんな技術やプログラミング知識が必要なのかを少し詳しめに知ることができますので、その意味で間口が広いというわけです。モノ作り、フィジカルコンピューティングの雰囲気を掴んで、興味を持った領域を掘り下げてもらうためのガイドブックだと言えます。
――書名、また本文中でもMakerと英語がそのまま使われていますが、何か意図があってのことなのでしょうか。
坪井:「メーカー」と表記すると家電メーカーなど企業の意味に誤解されることが多いので、表記するなら「メイカー」がいいのですが、ややこしいので「Maker」とするのがいいかなと思っています。
何か作りたいという気持ちこそがモチベーション
――始めてみたくても踏み出せない方にとって本書は導入になると思いますが、いざ始めても困ったことが起きて自力で解決できずにいる方もいるかもしれません。そういうときはどうするのがいいのでしょうか。
坪井:メイカームーブメントはオープンソースの世界と近しく、教え合う文化がありますから、誰かに教えてもらいましょう。手軽なのはオンラインのコミュニティに参加することです。
また、本書でも紹介しているファブラボもおすすめです。工作機械が置いてあるスペースで、メイカーのコミュニティでもあります。日本にも2011年に鎌倉と筑波にオープンし、その後も東京では渋谷や世田谷、横浜では関内、大阪では北加賀屋などにもできました。近場のファブラボを探して、遠慮なく訪れてみるのが問題解決の近道です。
――坪井さんとしては、皆さんに今すぐモノ作りを始めてみてほしいとお考えですか?
坪井:モノ作りのモチベーションは「自分がこんなものを作りたい」という気持ちなので、なかなかそうは言えません。しかし、何か作りたいものがあるという方はぜひ読んでみてほしいです。